ブロムシュテット+ライプチヒゲバントハウス管
僕にとってライプチヒゲバントハウス管弦楽団と言えば、クルト・マズアが振っていた東西ドイツ時代の、伝統的、あるいは保守的なオーケストラのイメージが強い。

非近代的であるということは、発売されるCDの音質が悪かったり、世界の音楽情報が届きにくいためにプロデュースが下手であることなど悪いこともあるが、逆に、世界の全てのオーケストラが近代化を目指したために特徴を失うなどの弊害から保護されるという側面もあった。
そういった、ある種のカリスマとも言える存在感を感じるオーケストラでもあった。

そんな遠い国、遠い世界のオーケストラが隣町の市民ホール(グリーンホール相模大野)にやってくる。これは、是非観ておかなくてはと、迷わずチケットを購入した。

<是非是非もう少しだからクリックしてね>
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# by CaffeineSphere | 2005-02-27 01:56 | ライブレポート
  ゲルギエフ+ウィーンフィル@サントリーホール
少し前になるけど、サントリーホールでウィーンフィルを聴いた時のレポートをします。

2004年11月19日、ゲルギエフ指揮のウィーンフィルを聴いてきた。サントリーホールでの《北オセチアにささげる心の支援》と題されたチャリティーで、この企画自体は新潟地震の直前に決まったとのこと。そこで、チャリティーの収益は、半分は新潟に寄付することになったそうだ。

昼の12:00から1時間、チャイコフスキーの「悲愴」が演奏された。祈りを捧げる意図から、最後の拍手は事前に禁止された。ヨーロッパでは教会でのコンサートはやはり拍手をしない場合があるそうだが、日本でこのような体験をするとは思ってもいなかった。この曲の最後は音が沈んでいくように終わるので音が鳴りやむと同時に派手に拍手をする人をいつも恨みに思っていたが、今日は音が止まってから1分近くも沈黙の音楽が続き、最後の最後まで堪能出来たことは実に貴重ですばらしい体験だった。

さて、ウィーンフィルは今回初めてライブを聴くことになった。ウィーンブランドは普段クラシックと縁遠い人でさえ集めてしまい、チケットがなかなか取れない(高いし、少ない)こともあってこれまで機会を得られなかった。

興味津々で聴いたが、予想以上にウィーンフィルというのは地元のホールに依存したオーケストラだということが分かった。特に弦の音が細く、かつ小さい。サントリーホールを鳴らしきることがほとんど無かった。弦の音質は倍音を主に音を出し基音の割合が少ないので、特に重低音が全く聞こえず、とても弦の音が薄く感じられた。でも、「これはウィーンフィルのはずだ!」と自分に言い聞かせながら聴いていたが、正直全体に楽器の音が安っぽいという感じと同時に、想像力をややたくましくしてウィーンのあの柔らかい音質をも何とか聞き取ることができた。地元のムジークフェラインザールはよほど音が響くのだろうと思う。絶対的な音量、迫力を要するブルックナーでさえ演奏するのだから。

それから、指揮者の意図なのか、ウィーンフィル独特の手法なのかは不明だが(おそらく指揮者ゲルギエフの意図だろうと思っている)、一部非常に気に入らない演奏方法を行っていた。それは、実際の音量を抑えながら、フル音量感を出そうとする手法と思われる。
「悲愴」は前半最後に一定の盛り上がりを見せる曲だが、その部分ではバイオリン奏者の1/3位しか実際に音を出さず、残りの人は小さな音で演奏しているようだった。こうすると、フォルテ感を出しながら、しかし実際の音量を抑えることができる。最終楽章は暗く、内向的な盛り上がりを表現するが、その部分では全員で演奏していた。このことで、本当の盛り上がりを最後に持ってこようとしたのだろうが、成功しているとは思えなかった。非常に違和感があるし、効果を感じなかった。知的と言うよりも恣意的、不自然さがあって気持ち悪かった。

流石ウィーンフィルだと感じさせられたのは、曲の前半にあるワルツの部分だ。ワルツをやらせると逸品だと思った。

是非、ウィーンフィルは地元ホールで聴いてみたいものだ。
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# by CaffeineSphere | 2005-01-02 01:19 | ライブレポート
  無からの創造?
創造とは、無から何かを生み出すことなのだろうか。

例えば、シンガーソングライターは歌詞、曲、演奏、全てがオリジナルだけど、では、そのオリジナル性という点について、全く何の影響も受けず、100%ピュアであると言えるだろうか。全く何もない状態から何かを生み出したのだろうか。
おそらく、人にはそんなことをできる能力はない。雪の結晶に核があるように、そこはなにか創造の種があったはずだ。

クラシックの演奏家は、殆どの場合他人の曲を演奏する。しかし、クラシックの演奏家もアーティストと呼ばれるし、その音楽も芸術だと誰もが認める。自分の経験から、他人の曲を演奏するのであっても、そこには確実に創造作業がある。作曲者と、演奏家との共同作業による芸術なんだ。

クラシック音楽は他の芸術に比べ、作曲家と演奏家という分業という形態が、やや特殊かも知れない。
独りのアーティストの力のみで完成させる絵画等の場合は、その絵の題材は自由に選ぶことができる。クラシックの演奏家は、他人の創造物を使って演奏するが、それは特殊な題材という見方もできよう。

作曲はどうだろう。音楽というものはそれ自身抽象的であり、つかみ所がないために、絵のように何かを書き写すようなことは難しい。自分が何か曲を作ってみようと思ったとき、ギターを触りながら心地よい響きを偶然発見し、それを種に少しずつ膨らませてみる、そんな方法で行ったことを覚えている。
作曲をするアーティストに尋ねると、曲想が浮かぶとき、「天から降りてくる」と比喩する人が、何人かいた。これは、何か神秘的で、無からの創造のようにも思える。しかし、本当にそうだろうか。完全に無から作れば、毎回全く違ったものが生まれるはずではないのか。同じ人が作った曲は、共通点があり、場合によっては、1つの作品を2つに分けただけではないかと思えるほど似たような曲ばかり作る人さえいる。

きっと、そんな「降りてくる」という作曲家も、何か種を持っているに違いないと、思う。それはきっと、抽象的な種で、言葉にしにくい、いや、できないだけなのだろう。

そう、どんな創造にも種があるのだ。種を選び、育てることが創造作業の本質なのだ。
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# by CaffeineSphere | 2004-12-29 14:40 | 表現ライフ
  はじめに
ミュージックビデオを制作する活動を通じていろんなアーティストに出会う。

そんな出会いをきっかけに「思う」事があるし、自分も何かを表現すること、創造することに強い関心があるため、考えをまとめるためにこのBLOGを始めることにした。

基本的には独り言だけれども、コメントなどレスポンスをいただければ幸いです。
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# by CaffeineSphere | 2004-12-25 14:02 | 表現ライフ




生きること全てが表現である、と言う視点で話題を持つ
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