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  ゲルギエフ+ウィーンフィル@サントリーホール
少し前になるけど、サントリーホールでウィーンフィルを聴いた時のレポートをします。

2004年11月19日、ゲルギエフ指揮のウィーンフィルを聴いてきた。サントリーホールでの《北オセチアにささげる心の支援》と題されたチャリティーで、この企画自体は新潟地震の直前に決まったとのこと。そこで、チャリティーの収益は、半分は新潟に寄付することになったそうだ。

昼の12:00から1時間、チャイコフスキーの「悲愴」が演奏された。祈りを捧げる意図から、最後の拍手は事前に禁止された。ヨーロッパでは教会でのコンサートはやはり拍手をしない場合があるそうだが、日本でこのような体験をするとは思ってもいなかった。この曲の最後は音が沈んでいくように終わるので音が鳴りやむと同時に派手に拍手をする人をいつも恨みに思っていたが、今日は音が止まってから1分近くも沈黙の音楽が続き、最後の最後まで堪能出来たことは実に貴重ですばらしい体験だった。

さて、ウィーンフィルは今回初めてライブを聴くことになった。ウィーンブランドは普段クラシックと縁遠い人でさえ集めてしまい、チケットがなかなか取れない(高いし、少ない)こともあってこれまで機会を得られなかった。

興味津々で聴いたが、予想以上にウィーンフィルというのは地元のホールに依存したオーケストラだということが分かった。特に弦の音が細く、かつ小さい。サントリーホールを鳴らしきることがほとんど無かった。弦の音質は倍音を主に音を出し基音の割合が少ないので、特に重低音が全く聞こえず、とても弦の音が薄く感じられた。でも、「これはウィーンフィルのはずだ!」と自分に言い聞かせながら聴いていたが、正直全体に楽器の音が安っぽいという感じと同時に、想像力をややたくましくしてウィーンのあの柔らかい音質をも何とか聞き取ることができた。地元のムジークフェラインザールはよほど音が響くのだろうと思う。絶対的な音量、迫力を要するブルックナーでさえ演奏するのだから。

それから、指揮者の意図なのか、ウィーンフィル独特の手法なのかは不明だが(おそらく指揮者ゲルギエフの意図だろうと思っている)、一部非常に気に入らない演奏方法を行っていた。それは、実際の音量を抑えながら、フル音量感を出そうとする手法と思われる。
「悲愴」は前半最後に一定の盛り上がりを見せる曲だが、その部分ではバイオリン奏者の1/3位しか実際に音を出さず、残りの人は小さな音で演奏しているようだった。こうすると、フォルテ感を出しながら、しかし実際の音量を抑えることができる。最終楽章は暗く、内向的な盛り上がりを表現するが、その部分では全員で演奏していた。このことで、本当の盛り上がりを最後に持ってこようとしたのだろうが、成功しているとは思えなかった。非常に違和感があるし、効果を感じなかった。知的と言うよりも恣意的、不自然さがあって気持ち悪かった。

流石ウィーンフィルだと感じさせられたのは、曲の前半にあるワルツの部分だ。ワルツをやらせると逸品だと思った。

是非、ウィーンフィルは地元ホールで聴いてみたいものだ。
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by CaffeineSphere | 2005-01-02 01:19 | ライブレポート




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