カテゴリ:ライブレポート( 5 )
  1986年10月22日 チェリビダッケ @ サントリーホール
この日、僕は忙しい会社に嘘を言ってまで抜けだし、初めてのサントリーホールへ向かったのを覚えている。

曲目はブルックナーの交響曲第5番だ。

当時、僕はあまりの仕事の忙しさに身体を壊しかけていたことも原因したのか、演奏がすばらしかったことは覚えていたが、具体的な演奏内容までは今まで殆ど思い出せないでいた。

それがなんと、この日のライブ録音がCDになっているではないか!!

あの日の録音がまさか20年を経て聴けるようになるとは。
実際、この録音は半ば秘密に録音されたものらしい。

チェリビダッケは録音嫌いでも有名な完全主義者だった。この日の録音も、FM放送用に一端OKになったものの、急遽本人の意向でNGになったものらしい。しかし、録音だけは内緒で行っていたのだそうだ。

梶本音楽事務所が出したこの2枚組のCD、音もすばらしく、チェリビダッケファンには手放しでお勧めできるし、彼のブルックナー5番では決定版であると確信できるほどの内容だ。あるいは、ブルックナー5番のCDすべてにおいても名盤と言えそうだ。

演奏は年齢から来る諦めを一切感じない。重厚で大きな演奏でありながら非常に緻密なのだ。その両方をここまで兼ね備えた演奏を他に知らない。
特に、ブルックナー特有の長時間にわたるクレッシェンドは一切妥協が無く、最初から最後まで一定の割合で音が大きくなり、圧倒される。

是非一度聴いてみてほしい。

このCDには拍手も少し録音されているが、実際には30分もそれは続いたと思う。もちろん、アンコールを求める安っぽいそれではなく、チェリビダッケに対する純粋な賛辞の気持ちが表れたものだ。

これほどのブルックナーの演奏に接する確率は、僕の残りの人生では非常に少ないだろう。

<CDデータ>
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by CaffeineSphere | 2007-01-29 18:41 | ライブレポート
  ロリン・マゼール+ニューヨークフィル 2006.11.9
ニューヨークフィルというと、僕は世界でもトップレベルで先進的なオーケストラのイメージを持っている。

その音色はヨーロッパの伝統的なそれとは異なり、明るくクリアでありながら、富んだ色彩は更に彩度が高い。

一方で、濃厚な中間色や、いぶし銀のような音色まで明るくなる傾向があり、聴く人の好みや演奏曲目との相性を分ける要因になる。

更に、まれにではあるけれども、管のセクションがジャズ文化を背景とした成り立ちであることを連想させる瞬間を感じることもある。

こんなオーケストラと最も相性がいいと感じるのは近代、現代の作曲家によるものだ。

僕は特に、リヒャルト・シュトラウスの曲が最も相性がいいと感じる。
ストラビンスキーもかなりいける。

今日聴いた曲の中でも、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」は最もこのオーケストラが活かされてると感じた。

でも、意外によかったのがアンコールで演奏されたビゼーの「アダージェット(アルルの女より)」だ。弦楽だけの演奏で、透明ではあるが、弱音の弦は色彩を失い、ある種の退廃的な雰囲気さえ醸し出す。深みはあまり無いが、未来的な嗜好を満足させるような感じだ。

ロリン・マゼールはあのウィーンフィルの最後の常任指揮者だった(今はウィーンフィルとしては常任指揮者を置いていない)。ウィーンで行われる恒例のニューイヤーコンサートにも度々登場したが、そのエンタテイメント性には定評がある。指揮をしながら、自らヴァイオリンを演奏したりもする。
また、オペラ指揮者としても名高く、歌曲を指揮するのも得意だ。

マーラーの4番をウィーンフィルと録音しているが、キャスリン・バトルが非常にゆっくり&たっぷりと歌っているところがあって、こんな歌い方を指揮できるのは彼しかいないかも知れないと感じさせられるほどだ。ちなみに、僕はマーラーの4番ではこのCDが一番好きだ。


そんなマゼールとニューヨークフィルとの相性はとてもいいと予想していたが、その通りだったと思う。

僕がニューヨークフィルと最高の相性だと感じた指揮者は既に亡くなったジュゼッペ・シノーポリだ。ただ、オケのメンバーには評判が悪かったという噂を聞いたことがある。

今日のコンサートに接し、なるほど思い当たる節がある。

シノーポリは実直すぎるほどに一生懸命で手抜きをしない人だったように思う。

しかし、ニューヨークフィルは1842年にできた大変伝統的で、若者中心というわけではないけれども、いかにもアメリカ的でフランクな側面がある。
例えば、演奏開始直前、あるいは休憩時間までステージ上で音出しをする人がかなりいる。こんなお行儀の悪いオーケストラは正直初めてだ。

この様子から推察されるのは、必要以上の労力を注がない、一種のプロ意識を持ったメンバーで構成されているだろうと言うことだ。職人的で、ある種のこだわりがないのだ。

だから、以前ズビン・メータと来日したときは武道館でコンサートをやったくらいだ。通常、音響的にあり得ない。そのときのブラームスの演奏をFMの中継(だったと思う)で聴いていたが、あまりにひどい演奏だったことを覚えている。

つまり、環境によって良くも悪くもなるオーケストラなのだ。一流の技術を持ちながら、最低の演奏もしてしまうことがある。


今日も曲目によっては?なところもあった。リハーサル不足なのかもしれない。最初の曲(ブラームスの『ハイドンの主題による変奏曲』)では金管セクションのミスがあった。

2曲目はエルガーのチェロ協奏曲ホ短調op.85で、ソロはアリッサ・ワイラースタイン。
なかなかの才女で、後半のテクニカルで長いフレーズはやや単調さを感じたものの、しっかりと隅々まで曲を解釈し、曖昧な表現は無くとても楽しめた。今日のコンサートではこの曲が最もよかったかもしれない。
(チェロだけのアンコールで、バッハの無伴奏組曲の一部を演奏し、これがすばらしかった。チェロのソロをライブで聴いたのも実は初めてだったが、なかなかいいものだと感じた。)

休憩を挟んで3曲目の「ドン・ファン」はやはり水を得た魚。でも、僕はマゼールにはやや手に余る曲であるという印象を持った。リヒャルト・シュトラウスのややエキセントリックな天才性という側面まで表現し切れていなかったからだ。

最後はチャイコフスキーの「フランチェスカ・ダ・リミニ」。よく知らない曲で、僕の中で流れてしまった。チャイコフスキーはつまらない曲の方が多い。

アンコールは2曲。ビゼーとドボルザーク。内容は省略。


実は、東京オペラシティーコンサートホールでオーケストラを聴いたのは初めてだった。
音はなかなか良かったと思うけれど、視覚的には最悪だ。かなり中途半端。たぶん、どこの席からもステージが遠く感じるだろう。そして、雰囲気もあまり良くない。一階席にいると、体育館にいるような錯覚に陥る。
その点、サントリーホールはすばらしい。どの席でもステージが近く感じるのだ。音ももちろん良い。そして、雰囲気も最高で、音楽を聴く気分もまた違ってくる。
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by CaffeineSphere | 2006-11-09 23:59 | ライブレポート
  テンシュテット+ロンドンフィル@人見記念講堂
1984年の話で、申し訳ない。

実は、当時来日したクラウス・テンシュテット+ロンドンフィルハーモニー管弦楽団によるライブ録音のCDを入手したのだ。

残念ながらCDは僕の行ったマーラーの第5番ではなく、東京簡易保険ホールのブルックナー第4番を主とするプログラムのものだ。これは、当時FM東京で放送されたもので、そのソースにより発売されたCDなんだ。

<人生で最も感動したこと>
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by CaffeineSphere | 2006-05-20 16:20 | ライブレポート
  ブロムシュテット+ライプチヒゲバントハウス管
僕にとってライプチヒゲバントハウス管弦楽団と言えば、クルト・マズアが振っていた東西ドイツ時代の、伝統的、あるいは保守的なオーケストラのイメージが強い。

非近代的であるということは、発売されるCDの音質が悪かったり、世界の音楽情報が届きにくいためにプロデュースが下手であることなど悪いこともあるが、逆に、世界の全てのオーケストラが近代化を目指したために特徴を失うなどの弊害から保護されるという側面もあった。
そういった、ある種のカリスマとも言える存在感を感じるオーケストラでもあった。

そんな遠い国、遠い世界のオーケストラが隣町の市民ホール(グリーンホール相模大野)にやってくる。これは、是非観ておかなくてはと、迷わずチケットを購入した。

<是非是非もう少しだからクリックしてね>
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by CaffeineSphere | 2005-02-27 01:56 | ライブレポート
  ゲルギエフ+ウィーンフィル@サントリーホール
少し前になるけど、サントリーホールでウィーンフィルを聴いた時のレポートをします。

2004年11月19日、ゲルギエフ指揮のウィーンフィルを聴いてきた。サントリーホールでの《北オセチアにささげる心の支援》と題されたチャリティーで、この企画自体は新潟地震の直前に決まったとのこと。そこで、チャリティーの収益は、半分は新潟に寄付することになったそうだ。

昼の12:00から1時間、チャイコフスキーの「悲愴」が演奏された。祈りを捧げる意図から、最後の拍手は事前に禁止された。ヨーロッパでは教会でのコンサートはやはり拍手をしない場合があるそうだが、日本でこのような体験をするとは思ってもいなかった。この曲の最後は音が沈んでいくように終わるので音が鳴りやむと同時に派手に拍手をする人をいつも恨みに思っていたが、今日は音が止まってから1分近くも沈黙の音楽が続き、最後の最後まで堪能出来たことは実に貴重ですばらしい体験だった。

さて、ウィーンフィルは今回初めてライブを聴くことになった。ウィーンブランドは普段クラシックと縁遠い人でさえ集めてしまい、チケットがなかなか取れない(高いし、少ない)こともあってこれまで機会を得られなかった。

興味津々で聴いたが、予想以上にウィーンフィルというのは地元のホールに依存したオーケストラだということが分かった。特に弦の音が細く、かつ小さい。サントリーホールを鳴らしきることがほとんど無かった。弦の音質は倍音を主に音を出し基音の割合が少ないので、特に重低音が全く聞こえず、とても弦の音が薄く感じられた。でも、「これはウィーンフィルのはずだ!」と自分に言い聞かせながら聴いていたが、正直全体に楽器の音が安っぽいという感じと同時に、想像力をややたくましくしてウィーンのあの柔らかい音質をも何とか聞き取ることができた。地元のムジークフェラインザールはよほど音が響くのだろうと思う。絶対的な音量、迫力を要するブルックナーでさえ演奏するのだから。

それから、指揮者の意図なのか、ウィーンフィル独特の手法なのかは不明だが(おそらく指揮者ゲルギエフの意図だろうと思っている)、一部非常に気に入らない演奏方法を行っていた。それは、実際の音量を抑えながら、フル音量感を出そうとする手法と思われる。
「悲愴」は前半最後に一定の盛り上がりを見せる曲だが、その部分ではバイオリン奏者の1/3位しか実際に音を出さず、残りの人は小さな音で演奏しているようだった。こうすると、フォルテ感を出しながら、しかし実際の音量を抑えることができる。最終楽章は暗く、内向的な盛り上がりを表現するが、その部分では全員で演奏していた。このことで、本当の盛り上がりを最後に持ってこようとしたのだろうが、成功しているとは思えなかった。非常に違和感があるし、効果を感じなかった。知的と言うよりも恣意的、不自然さがあって気持ち悪かった。

流石ウィーンフィルだと感じさせられたのは、曲の前半にあるワルツの部分だ。ワルツをやらせると逸品だと思った。

是非、ウィーンフィルは地元ホールで聴いてみたいものだ。
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by CaffeineSphere | 2005-01-02 01:19 | ライブレポート




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