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  本BLOGは無期限休止とします
「表現するために」はこれ以後無期限休止とします。
過去の記事も原則としてしばらくは全て非公開にします。

自分自身のためにももう一度読み直し、公開して残すものを選び出そうと思っています。

2004年12月から始めたBLOGですが、自分でも驚くほど続きました。

これまで少しでも読んでいただいた方、コメントをいただいた方、ありがとうございました。

<今後のこと、もう少し詳しく>
# by CaffeineSphere | 2008-06-06 01:14 | その他
  感覚のスタンダード
我々人間は、人の顔を見分けるのは容易くできる。
でも、例えばチンパンジーはみな同じ顔に見えてしまい、なかなか区別できないよね。

ところが、動物園でチンパンジーを飼育している係の人は、一目で個体識別ができる。
でも、これは飼育係の人が特に優れた才能や感覚を持っているわけではないらしい。

人は、顔を判別するための「標準の顔」を持っていて、それとの差がどうか、ということで特徴を掴むようになっていると言うことらしいのだ。
普段あまり目にしないチンパンジー、普通はチンパンジーの標準の顔が頭入っていない状態だから、感覚的に区別することはできないということなんだね。

飼育係の人は、毎日チンパンジーを見ているうち、チンパンジーの顔の標準が頭の中にできあがっている、と言うわけだ。

<顔だけじゃない>
# by CaffeineSphere | 2007-08-10 03:41 | 表現ライフ
  1986年10月22日 チェリビダッケ @ サントリーホール
この日、僕は忙しい会社に嘘を言ってまで抜けだし、初めてのサントリーホールへ向かったのを覚えている。

曲目はブルックナーの交響曲第5番だ。

当時、僕はあまりの仕事の忙しさに身体を壊しかけていたことも原因したのか、演奏がすばらしかったことは覚えていたが、具体的な演奏内容までは今まで殆ど思い出せないでいた。

それがなんと、この日のライブ録音がCDになっているではないか!!

あの日の録音がまさか20年を経て聴けるようになるとは。
実際、この録音は半ば秘密に録音されたものらしい。

チェリビダッケは録音嫌いでも有名な完全主義者だった。この日の録音も、FM放送用に一端OKになったものの、急遽本人の意向でNGになったものらしい。しかし、録音だけは内緒で行っていたのだそうだ。

梶本音楽事務所が出したこの2枚組のCD、音もすばらしく、チェリビダッケファンには手放しでお勧めできるし、彼のブルックナー5番では決定版であると確信できるほどの内容だ。あるいは、ブルックナー5番のCDすべてにおいても名盤と言えそうだ。

演奏は年齢から来る諦めを一切感じない。重厚で大きな演奏でありながら非常に緻密なのだ。その両方をここまで兼ね備えた演奏を他に知らない。
特に、ブルックナー特有の長時間にわたるクレッシェンドは一切妥協が無く、最初から最後まで一定の割合で音が大きくなり、圧倒される。

是非一度聴いてみてほしい。

このCDには拍手も少し録音されているが、実際には30分もそれは続いたと思う。もちろん、アンコールを求める安っぽいそれではなく、チェリビダッケに対する純粋な賛辞の気持ちが表れたものだ。

これほどのブルックナーの演奏に接する確率は、僕の残りの人生では非常に少ないだろう。

<CDデータ>
# by CaffeineSphere | 2007-01-29 18:41 | ライブレポート
  ロリン・マゼール+ニューヨークフィル 2006.11.9
ニューヨークフィルというと、僕は世界でもトップレベルで先進的なオーケストラのイメージを持っている。

その音色はヨーロッパの伝統的なそれとは異なり、明るくクリアでありながら、富んだ色彩は更に彩度が高い。

一方で、濃厚な中間色や、いぶし銀のような音色まで明るくなる傾向があり、聴く人の好みや演奏曲目との相性を分ける要因になる。

更に、まれにではあるけれども、管のセクションがジャズ文化を背景とした成り立ちであることを連想させる瞬間を感じることもある。

こんなオーケストラと最も相性がいいと感じるのは近代、現代の作曲家によるものだ。

僕は特に、リヒャルト・シュトラウスの曲が最も相性がいいと感じる。
ストラビンスキーもかなりいける。

今日聴いた曲の中でも、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」は最もこのオーケストラが活かされてると感じた。

でも、意外によかったのがアンコールで演奏されたビゼーの「アダージェット(アルルの女より)」だ。弦楽だけの演奏で、透明ではあるが、弱音の弦は色彩を失い、ある種の退廃的な雰囲気さえ醸し出す。深みはあまり無いが、未来的な嗜好を満足させるような感じだ。

ロリン・マゼールはあのウィーンフィルの最後の常任指揮者だった(今はウィーンフィルとしては常任指揮者を置いていない)。ウィーンで行われる恒例のニューイヤーコンサートにも度々登場したが、そのエンタテイメント性には定評がある。指揮をしながら、自らヴァイオリンを演奏したりもする。
また、オペラ指揮者としても名高く、歌曲を指揮するのも得意だ。

マーラーの4番をウィーンフィルと録音しているが、キャスリン・バトルが非常にゆっくり&たっぷりと歌っているところがあって、こんな歌い方を指揮できるのは彼しかいないかも知れないと感じさせられるほどだ。ちなみに、僕はマーラーの4番ではこのCDが一番好きだ。


そんなマゼールとニューヨークフィルとの相性はとてもいいと予想していたが、その通りだったと思う。

僕がニューヨークフィルと最高の相性だと感じた指揮者は既に亡くなったジュゼッペ・シノーポリだ。ただ、オケのメンバーには評判が悪かったという噂を聞いたことがある。

今日のコンサートに接し、なるほど思い当たる節がある。

シノーポリは実直すぎるほどに一生懸命で手抜きをしない人だったように思う。

しかし、ニューヨークフィルは1842年にできた大変伝統的で、若者中心というわけではないけれども、いかにもアメリカ的でフランクな側面がある。
例えば、演奏開始直前、あるいは休憩時間までステージ上で音出しをする人がかなりいる。こんなお行儀の悪いオーケストラは正直初めてだ。

この様子から推察されるのは、必要以上の労力を注がない、一種のプロ意識を持ったメンバーで構成されているだろうと言うことだ。職人的で、ある種のこだわりがないのだ。

だから、以前ズビン・メータと来日したときは武道館でコンサートをやったくらいだ。通常、音響的にあり得ない。そのときのブラームスの演奏をFMの中継(だったと思う)で聴いていたが、あまりにひどい演奏だったことを覚えている。

つまり、環境によって良くも悪くもなるオーケストラなのだ。一流の技術を持ちながら、最低の演奏もしてしまうことがある。


今日も曲目によっては?なところもあった。リハーサル不足なのかもしれない。最初の曲(ブラームスの『ハイドンの主題による変奏曲』)では金管セクションのミスがあった。

2曲目はエルガーのチェロ協奏曲ホ短調op.85で、ソロはアリッサ・ワイラースタイン。
なかなかの才女で、後半のテクニカルで長いフレーズはやや単調さを感じたものの、しっかりと隅々まで曲を解釈し、曖昧な表現は無くとても楽しめた。今日のコンサートではこの曲が最もよかったかもしれない。
(チェロだけのアンコールで、バッハの無伴奏組曲の一部を演奏し、これがすばらしかった。チェロのソロをライブで聴いたのも実は初めてだったが、なかなかいいものだと感じた。)

休憩を挟んで3曲目の「ドン・ファン」はやはり水を得た魚。でも、僕はマゼールにはやや手に余る曲であるという印象を持った。リヒャルト・シュトラウスのややエキセントリックな天才性という側面まで表現し切れていなかったからだ。

最後はチャイコフスキーの「フランチェスカ・ダ・リミニ」。よく知らない曲で、僕の中で流れてしまった。チャイコフスキーはつまらない曲の方が多い。

アンコールは2曲。ビゼーとドボルザーク。内容は省略。


実は、東京オペラシティーコンサートホールでオーケストラを聴いたのは初めてだった。
音はなかなか良かったと思うけれど、視覚的には最悪だ。かなり中途半端。たぶん、どこの席からもステージが遠く感じるだろう。そして、雰囲気もあまり良くない。一階席にいると、体育館にいるような錯覚に陥る。
その点、サントリーホールはすばらしい。どの席でもステージが近く感じるのだ。音ももちろん良い。そして、雰囲気も最高で、音楽を聴く気分もまた違ってくる。
# by CaffeineSphere | 2006-11-09 23:59 | ライブレポート
  テンシュテット+ロンドンフィル@人見記念講堂
1984年の話で、申し訳ない。

実は、当時来日したクラウス・テンシュテット+ロンドンフィルハーモニー管弦楽団によるライブ録音のCDを入手したのだ。

残念ながらCDは僕の行ったマーラーの第5番ではなく、東京簡易保険ホールのブルックナー第4番を主とするプログラムのものだ。これは、当時FM東京で放送されたもので、そのソースにより発売されたCDなんだ。

<人生で最も感動したこと>
# by CaffeineSphere | 2006-05-20 16:20 | ライブレポート




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